幸せな勘違い
私のために書いてくれたんだなあ〜(涙)😭😭😭
…と、「勘違い」しておきます(笑)
この↑記事に共感する人もいてうれしい💓
子どもの頃、
わりとハッキリと
“ああ、親は理解してくれないんだな ”
とあきらめた記憶があって、
それが根っこにあるんだろうな
と思い当たります。
誰のせいでもなくて、
個々の性質の違いだけ
なんですけど、
子どもの頃にはそんなこと知らないので
ガマンする以外に方法がなかったんですね。
それ以来、
他人に理解される範囲でしか話さなくなったのかも。
ごくたまに、
“え〜〜〜?!”ってびっくりするくらい
伝わる人もいるけど(笑)
そっちの人の方が私より全然苦労してるんじゃないかな
って思うわ。
少なくとも私は、高校時代に結構救われた経験があるので。
いまだに、
「寂しい」という言葉に抵抗があるけどね。
だからこそ「寂しい」って言葉が
ドンピシャ!😭😭😭(号泣)
だったんだなあ…
「寂しい」と思うのはいけないこと
だと思うようになってしまったんだね。
そういえば思い出したけど、
強烈に「寂しい」と感じたのって、
2週間ぐらいフィレンツェに語学留学した時かも。
ある程度イタリア語を使えるようになってからだったんだけどね。
日本人の友達も現地にいたし、
あとから旅行で来てる友達と合流したりしたけれど、
それでも強烈に一人って感じがした。
言いたいことが上手く伝わらないことも多かったけど、
やっぱり欧米との感覚の違いもあったかなあ。
めっちゃ寂しくて、
当時日本にいたイタリア語の先生に
日本語でメールうってた(笑)
でもまたイタリアに行ったけどねwww
人がいるから寂しいのかもね。
まったく人がいないところで寂しいとかはないもの。
(怖いはあるw)
おとなの味