心技体、足りていないのはどれ?
ちょうど良い写真が見つからなかったので、
前の写真を貼る。
今朝(いや、もう昨日だな)、
めちゃくちゃ怒りまくる夢を見ました。
私の働いている学校の卒業式の日、
私もその仕事を辞めるので、
なぜか今は連絡を取っていない高校の時の友達から、
カラフルでキャンディカラーのマカロンみたいなクッキーがいっぱい入った
お餞別をもらいました。
それを並べて喜んでいたら、
他の人に見つかって
あわてて隠したけれど、
なんといつの間にか全部食べられてしまいました。
私はすんごい腹が立って
つか、怒り狂って、
最初に食べた人をボコボコにしたり
なんかよくわからないけど
その部屋に置いてあったピカピカした金属製の何かを数台
ベコベコにしてやりました😤フンス
そして
憤懣やるかたない
もっとぶっ壊したい
というところで目が覚めました。
さすがに人を殴っている時は
“これ以上殴ったら死ぬかも…”
と、途中で辞めましたが、
この時、
“まあ、夢だから死なんだろ”
“でも、ちょっと可哀想だからやめとこ”
って思いました。
明晰夢…というほど明晰ではないけれど、
夢の中で夢だって自覚したのは
初めての記憶かもしれません。
しかし内容が内容なだけに気になって夢判断で検索してみたら、
怒る夢を見て目覚めた時にスッキリしていたら
ストレスが解消されたということらしいので、
多分、ストレス解消だったのだと思います。
久々にバイオレンスな夢だったわ(笑)
この記事↑で
フィジカルとフィーリングとロジックと
と書いた時に、
“これって心技体のこと?”
(順番を合わせるなら“フィーリング・ロジック・フィジカル”かな)
と思いついたんですけど
使い方としてあっているのか不明だったので使いませんでしたが、
“心技体ってよく云うけれど、どういう意味で使われているんだろう”
って調べていたら、
知人のお父様にぶち当たって
ちょっとびっくりでした(笑)
そのお父様が最初に使われたとかいう話が。
武道と私の言いたいことと
こじつけられなくは無いですが、
そもそも
私は武術をやったことがないので、
安易にくっつけることで
返って浅い印象になってしまいそうな気も。
そこでもうちょっと詳しい内容を探していたら
興味深い考察がありました。
諸説ありますが、語源を調べてみると、
一番有力なのは明治44年に出版された古木源之助著 『 柔術独習書 』 の中の一節です。
「第二章 柔術の目的」で「柔術は如何なるものや」についてこう述べておられます。
第一、身体の発育第二、勝負術の鍛錬(即ち護身の用)
第三、精神の修養
つまり、
・身体の発育 ・・・ 「体」・勝負術の鍛錬 ・・・ 「技」
・精神の修養 ・・・ 「心」
順番は違いますが、「心」、「技」、「体」が出てきます。私の知る限りでは、これが語源となっていると思われます。
もともと「心技体」はどんな意味だったのでしょうか?
実は、先ほどお伝えさせていただいた箇所のすぐあとにこう述べられています。
『以上三項の修行法は相互関連して居れるを以て単に一つの方のみを研究すべきものにあらず』
現代語に訳してみると
「お互いに関連するものだから、一つだけを取り上げて研究するものではない」とはっきりおっしゃっておられます。
さらにこのあとで、『単なる体操のようなものは意味のない運動であり、興味もなければ利益も少ない』
と述べられ、これに対して柔術の鍛錬法は
『いかにして相手を倒し、相手の攻撃を防御するかという勝負の「意味」が含まれ、精神の活動も盛んになり、智徳の増進も助けるのだ』
という趣旨のことを述べられておられます。
柔術においては、「心技体」をバラバラにではなく、一つのものとして修行していくものであると読み取れます。
なるほど!
私の考えより全然深い!!
パクらせて 参考にさせてもらおう!
こう来ると、元の文献の方も確認できると良いなと調べてみたら、
国会図書館のデジタルコレクションで原書が読めるではないですか!
すげえ!こういうのテンション上がる!!
しかも、序文が今やってる大河ドラマの「いだてん」に出てくる嘉納治五郎先生だよ!
…テンション上がり過ぎて、
何書こうとしたか忘れた。
よくある。
もとい。
もうちょっと自分の中で練る必要があるとは思うのですが、
今、新たな情報で頭がいっぱいになってしまったので
かろうじて言葉にするとしたら、
心技体のどれが欠けても上手くいかない
ということが言いたいんですね。
武術以前に自分自身のこととして。
あ〜ちょっとつながってきた!!