素敵ってことにしてみたところ
連休に入った途端、料理三昧な日々です。
(前半は風邪っぴきでそれどころではなかったT_T)
しかし、世の中のお母さんスゲーな。
お母さんに限らないけど。
朝起きて洗濯して、朝ご飯/お弁当作って、仕事して、
買い物して帰ってきて、夕飯作って片付けて、お風呂はいって、明日の準備して寝る。
私、 夕飯作れる体力ほぼ無いもん。
作りたいけど、何を作るか頭も働かないし(~_~;)
この連休は日頃の鬱憤を晴らすメニューになりそう。
前記事 綺麗か素敵かなど。 - *さけのさかな* で、
『私、素敵ってことにしてみ』たところ、
何かこれまでと違う感覚が。
自分はもうこれ以上でも以下でもないこのままで素敵なんだ。
ダメなところ、情けないところ、できないこと、あってそれが自分なんだから仕方がないや。
という、自分を肯定するというよりは、
なんかあきらめた。よく見せようとするの疲れたから辞める。
もう、カッコイイ理想の自分と比べるの辞めた。
といった気持ちになりまして、
自分を素敵っていうことにするのって、
思っていたより 自分が雑草っぽいw 気がします。
花屋で売られていない草花な感じです(笑)
そして、一番あれ?って思ったのは 体感 なんですが、
…この感じ、何かと同じだ。
と思い出したのが、ちょうど、
歌の本番で舞台に上がる時 の感じでした。
腹にいるというか、あるというか、それでいて頭のてっぺんまでピッとするような。
武道家はこういう状態をなんていうんでしたっけ?
タントウコウ(站椿功)をやっていても、中々丹田に意識を持っていくのが私には難しいのですが、
あ、タントウ地味に続けてますよw
あれ?今、腹に 気 が入ってるんじゃん?(喜
今まで普段では余り感じなかった体感です。
地味にタントウを続けていたからか、歌でそのポジションを作ったからか、そこに入り易くなっているのかも?
自分の中で、これかも知れない…という手応えも感じます。
これって、身体から作れるのか(気功とか、武術とかで)
はたまた自分の意志で作れるのかよくわからないですが、
何しろサンプルが私の経験と体感しかない
多分どんなに有用なメソッドがあったとしても、
それぞれ個人が自分で選んで自分で体験していかなければ、
見つからない辿り着けないものなんだろうなとは思いますけどね。
『私は素敵だということにする』
なんて一見舐めてますけど(笑)
今の状態の自分をあきらめる、今の状態の自分を否定しない、
なぜこうなったか・何が悪かったかを悔やむのではなくただ知るということ。
→これすなわち内省ってことなのか?
私個人の体感として、腹に落ち着ける状態を保てるのかも。
そしていずれはカメ○メ波的なものが打てるように。