*さけのさかな*

使命はお酒を愛し楽しく生きること。酒の肴に語るにはわりと珍味。

スピリチュアリズムとワタクシwww

昨今、またちらほらスピリチュアルブームの兆しが見えます。

自分の頃のそれは終息しているので、

なんか、懐かしいような、痛いような…

…いや、痛いわ(>_<)



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5年前、龍(型の雲)を目撃して大喜びしてた時の写真w



スピ系で知り合った友人達とは

今でも付き合いがありますが、

もう良い具合に落ち着いて、普通に友達づきあいしています。


この前会った時も、皆同じ様に感じていたらしく、

なんとも言えない微妙な感想を言い合ってました。


多分ね、最初はこうなって、次はこうなって、そのうちこうなるよ。


というコースは大体予想がつく。

実際、自分(達)や周りがそうだったから。




元々私はオカルト好きなので、

そういう世界に抵抗はほとんどないのですが、

天使とかドラゴンの世界にはどうも馴染めない。

子どもの頃教会に通っていたのにね(笑)

なぜか(スピでは流行る)ジャンヌダルクには言いようのない嫌悪感があるしね(笑)

そもそも、スピリチュアルって言葉も嘘くさくて(日本での使われ方が)、

マジどうにかして欲しい





もとい。




スピリチュアルに関しては、半信半疑でいる人の方が大半だとは思いますが、

日本とか東洋とかでは、元々霊的な信仰が根強いので、

スピリチュアリズムとは親和性が高いようです。

あと、イギリスも一神教に染まってはいるけれど、スピリット(精霊)色はまだ強いみたい。




だから、スピリチュアルが流行るのも仕方がないっつうか、

当たり前なのかもしれないなと。



それでも、

つうか、正直、自分が染まってきた手前、偉そうなことを言うのも激烈恥ずかしいのですが、

まあ、皆さん通る道だと思って、

訳知り然として書いてやろうと思います。←何様だ




スピリチュアルにハマるとマジ黒歴史必至です。

中二病と大差ないです。




但し、その中でもごく稀に、運良く、本物のスピリチュアルに出会えることもあります。

こういう人たちはあまり表に出て来ることを好みません。

本当に彼らを必要としている人とは必然的に出会えると知っているので、

宣伝する必要も無いのだそうです。

こういう人に出会えたら、きっと縁があったってことなのでしょうね。



私は俗世LOVE❤️のせいか、本物を体現する人物には会ったことありません。

せいぜいその弟子クラスです。

弟子クラスといっても、弟子本人達が自分達はまだ遠く及ばないと言うからそう表現するのであって、

実際はどのくらいなのか、素人目にはさっぱりです。








けれど元々こういう能力?を持っていなくても、後天的に身につけることができるようです。


大体、そう簡単にはいかないみたいだけど。



例えば瞑想を続けていて、何か不思議な物を見てしまうとか、何かの声を聞いてしまうとか、

そこまでは割と誰でもいけるので、

悟ってしまったとか能力が芽生えたとか勘違いを起こしてしまう人がいるようです。



私は実はギリセーフでした(笑)。

スピにハマる前、というか、スピリチュアルという言葉が流行る以前、

悩むことがあって、哲学方向にハマったのですね。

その中で、仏教哲学つうかその成り立ちみたいなのが面白くて、

ほんのいくつかですけど仏教関係の本を読んでいたことがあります。

その中で、


坐禅の)修行中、神仏を見たとしてもそれは幻だから、惑わされず、無視しなさい。


という内容のことが書いてありました。

それがなんとなく記憶に残っていたお陰で、勘違いまではいかなかったのです。

他にも実際に仏門で修行をしている人たちが見たものは、中々面白いモノが多いらしいです。(小さいおじさんとかw)

でもそういう面白目当てに瞑想しても、出会えないんですよね…←邪念があり過ぎだからか?



つまり、なんか不思議なモノを見てしまうとか話しかけられるのは、よくあることなので、

特別なことではないよ。と、もう何千年?も前から言われていることなのですね。


よって、スピリチュアルな能力を後天的に身につける為の修行に関しては、

古来の宗教を学んだ方が、紆余曲折を経た分、危険面も安全面も熟知しているため、

危険性が低いよ

と、言っておきます。



危険っていっても、黒歴史の危険とか、中二病の危険というものではなくて、

下手すると精神の崩壊もあり得るという、結構深刻なものです。



例えば、

「現代人にとって、瞑想はいいよ。」

と薦めるのは結構見掛けますが、

確かにそれ自体は間違いないでしょうけれど、

『瞑想をやってはダメな人』

というのもいるわけです。

瞑想をする事で、返って事態が悪化する場合もあるのです。



禅宗だからって坐禅ばっかりすることはありません。

坐禅と作務は必ずセットです。

こういう内容をちゃんと教えてくれているか、大事なチェックポイントです。




私は日常にスピリチュアルが満ちあふれていた方がなんか楽しくね?

みたいなお気楽なので、「修行?無理無理!」と敬遠しつつも、

でも、安全に楽しむ(コラ!)には、ルールくらいは知っとかないとね。

ということで、

出来るだけ確かな裏打ちのあるルールを探していたら(あやふやなのはかなりいっぱいあるよ)、

今度はキリスト教に辿り着いてしまった(笑)



で、注意点てキリスト教も仏教も同じ。

言い方や方法はちょっと違うけど。

逆に、キリスト教を学ぶ時点で、仏教だけでは理解できなかったことが理解できたりと、

補完する作業も可能です。



むしろ、キリスト教は研究する人が多いので、

わりと体系だって理解し易い。

仏教は導師について、経験を積んで会得することに長けているのだろうと思われます。

禅問答的になると、間違って解釈してしまったりする。

これは導師がいないと修正をするのに困難若しくは時間がかかる。


まあ、キリスト教だって一般的には、かなりの誤解が浸透しているようだし。


古来の宗教でもなかなか根幹を理解できる人が少ないのだから、

新しいものはもっと確率は低くなるのでしょう。






久しぶりに、スピリチュアルについて語ってしまったので(大した内容じゃないが)

明朝からタントウ功(立禅)を再開しなければいけないかも。

ひざを痛めてたので、しばらく辞めていたけど。

デスクワークが多くて運動不足だしなあ…