役に立つ魔法(笑)
ショッピングモールの中にあると、どうしてもうるさいのよねえ…
そういえば、都内のスタバ、
オフィスビル内とかにある、トイレが店外にある店舗は良かったけど、
各店舗内にトイレがあるスタバって、
水回りの設備のせいなのか、内装の関係なのか、
トイレ辺りの空気が独特な水の匂いがして、
なんかダメだったなあ。
スタバさんはトイレが店外にある店舗設計をおすすめします(笑)
今日も、罪悪感と戦う私…いや、戦っちゃいかんのか(笑)
あれから、私は、
自分のことを「役立たず」だと思っていることが判明しました。
だから、仕事でも友達付き合いでも、一番は親に、
「役に立たなければならない」としてがんばってしまう。
その時は大体肩に力が入っている。
でも、基本は「私は役に立たない」なので、
どんなにがんばっても、誰に感謝されようとも、
“自分は大したことはやってない。やっぱり役に立たないのだ。”
“もっともっと人の役に立つようにがんばらなければ!”
と思ってしまい、
結局どこまでいっても、自分が役に立たないことの証明しかできなかったのだ。
ベースが「役立たず」だけど、
「役に立たなければならない」と思っているので、
なんでもできるようにならなければ!とがんばるし、
なんでも理解できるようにならなければ!とがんばる。
そんな自分がやっとわかったのでした。
それで、
「役に立たなくても自分は愛されている」
にOKが出なかったんだな〜。
始めからいきなりそれではハードルが高かったので、
自分は「役に立たない」を受け容れることにしました。
…簡単にかいたけど…
「役に立たなければならない」と思っている身としては、
思っていたより抵抗のある作業でした(汗)
「私は何をやっても役に立たないのだから、役に立とうとしても無駄。
だから、無理に役に立とうとしなくていい。」
親に何かやれと言われたり、頼まれたりすると、
すごく反発したくなるのは、
役に立たなければならないプレッシャーがあったのね。
「どうせ役に立とうとしても無駄だから、無理に役に立とうとしなくてもいい。」
なんか、これが一番気が楽になりました。
これが「役立たず」を受け容れやすくしてくれました。
自分を「役立たず」と受け容れたら、
ちょっとした頼まれごとをする時も、
“あれ?私って結構役に立ってるじゃんw”
という気がしてきました(笑)
「役に立たないから役に立とうとしなくていい。」
と思ったら、役に立つハードルが下がったんですね。
不思議。
赤ちゃんがちょっと寝返りうてたら親が喜ぶように、
人から恐れられている不良がネコを拾ったのを見かけた時のように、
役立たずだと思っていた人がちょっと何かすると
すごく役に立ったみたいに見える
マジックです。
(マジックかよ!)