*さけのさかな*

使命はお酒を愛し楽しく生きること。酒の肴に語るにはわりと珍味。

【暫定】自分を肯定すること

 

2ya-ri.hatenablog.com

 

 

 

花粉シーズン到来で、

ボーッと毎日をおくっています。

あ、こっちは雪降ったりしてたけどね!

 

 

私は元々自分が超合理主義なのを分かっていたけれど、

だから人に、感情論とか道理で物事の成否や道筋を語られると、

「なんでそんな無駄なことをするんだろう?」と思っていた。

一見無駄なことでも、実際にやってみることで得るものがあると知れたので、

合理性を発動するのはなるべく自分が必要と思った時だけにしました。

 

 

『自分を全て肯定する 』

 

 

これってなんかフワフワしたイメージ若しくはおちゃらけたイメージがある(特に最近)。

でも本気でやってみたら、何気に結構きつい。

 

でもこの作業、実際はかなり合理的だと思う。

 

なのでちょっとクソ真面目に語ってみます。

 


おそらく、キーポイントになるであろうは、

「自分の肯定しにくい部分を肯定する」作業。

 

自分の良い部分も悪い部分も肯定する…んじゃなくて、

自分自身が 「それはできない」 と思うまたは 「つい拒絶してしまう」 ことを

自分で肯定する。(そう思わない部分はたぶん既に肯定済かポイントがずれている。)

 

あえて、これは作業だと割り切れるようになると、効率がいい

最初からは難しかったけど。

 

肯定の仕方も色々あるけれど、


それが自分の中に 存在する

まるで、テーブルの上にコーヒーカップがある みたいなテンションで思う。

 

 

テ、テェブルの上にぃぃ…

コオヒィカップがああああああ!!!!!((((;゚Д゚)))))))ぐはっ!!

 

 

…って思う人は止めといてください(;^_^A



まあ、そうやって淡々と存在を認めるのだ。

 

 

 

去年も自己肯定のことを考えていたので、

多少修正を加えて載せておく。


 

あなたは素晴らしいとか自己肯定とかよく見かけるけど、

大概言ってることが表層的な気がする。


多分、それでも善良な一般市民に向けてならそれで良いのかも知れない。

自分の全てを受け入れなさいとか、良いも悪いも肯定しなさいとか。

きっと中々難しいことなんだと思うし。

 

例えば、故意に或いは止む終えず或いは間違って人を殺しちゃった人とか、

自分を全てを受け入れ、良いも悪いも肯定するのかな?

それでも自己肯定推奨するのかな?

人を殺すのも自分だし、全然OK?

もしかしたら、快楽殺人者は元々そんな自分自身を賛美しているかもね?

 

結論からいうと、全ての人が肯定しようが否定しようが

「是」なんだけどね。

 

幾つかの先人達の話や、幾つかの分野の人の話を聞いたり読んだりして、

こういうことなんじゃないかな、と思う結論をいうと、


(分かりにくいので敢えて‘この世’というけれど、)

‘この世’のありとあらゆる物は全て「是」だから「有る(存在する)」

逆に「否」の物は「無い」。存在すらしないのだ。

見ることも聞くことも触ることも感じることもできないのが「否」とされる物なのだ

(本当は「無い」んだから物ですら無い)。


つまり、


‘この世’に存在する限り、それは全て肯定されているのだということ。



それが良いことか悪いことか、という判断には「存在すること」が委ねられていないので、

善悪は「存在」を脅かすことは無い。


もし、「悪」が「存在」を「否定」するものであったら、

「悪」認定→即、消滅(無)

であるハズなのだ。(認定も何も、最初っから無いはず。)


善悪、美醜、好き嫌い、知・無知、健康・不健康など問わず、

一切「存在」を肯定されている。

 

じゃあ、「誰が」「肯定」しているかっていうと、


《全てを「存在」させ得る『存在』》が。


(これ、宗教的表現を使うと、人によって受取り方が変わっちゃうので、上手く言えないんだけど。)

 

《全てを「存在」させ得る『存在』》なんて、

見ることも聞くことも触ることも感じることもできないじゃないか。

つまりそんなもの「無い」んだろ?

 

と思うかも知れないけれど、「有る」んだな。


例えば自分自身、

例えば周りを取り巻く人々や動植物、

空とか海とか「存在」し得るもの全てに。


これがまたドライにいうと、

善悪その他関係無く、圧倒的に肯定している『存在』が充満している。

『存在』じゃないものは、やはり「無い」ので感知出来ない。想像さえ及ばない。

私達が普段意識の及ばないことも、

私達がその意識を向けた途端、「存在」することに気付く。

そういうことなんだと思うのね。

 

 

まあ先人がとっくの昔に言っていることを、自分の言葉で言い換えただけなので、

もっとちゃんと知りたいなら、偉人と呼ばれる人達の言葉を探してみたらいい。 

私より遥かに良質な説明をしている人達がいるだろうし。(間違いない)


その一番核の部分、それを中途半端にしてしまっているから、

何かある度に揺らいだり信じられなくなってしまうんだと思う。

(善悪そのものに関しては、「在り方」の話なので、一緒にすると混乱するよ。)

 

 

在るんだからしょうがない。

 

そんなこと言ったら身も蓋もないけど、そういうことだね。

それに自分がどう感情を揺らされようが無視しようが、在るんだよ。 

 (クドイようだけど、善悪は関係ないからね。)