*さけのさかな*

使命はお酒を愛し楽しく生きること。酒の肴に語るにはわりと珍味。

許す→自分に正直になる→→友達が減る?


↑実は若干この前の写真と違うのです(笑)



自分と合う合わない、好き嫌い、って物心ついたときからあるんですが、

嫌いって言うと言われた方が傷付くとか、食べ物の好き嫌いは良くないとか、

子どもの頃から他人に言われるので、


「嫌いなことは悪い」とずううっと勘違いしてました。

だから「悪いことしちゃいけない」→「嫌いな感覚はいけないこと」→「嫌いであっちゃだめ!」

からの「合わない ≒ 嫌い」→「合わないと思っちゃダメ!!!」

そうやってずっと勘違いを複雑化させて

今では過程をすっ飛ばして脊髄反射的に


   嫌い(合わない)=ダメ!!


と反応しているようです。


そうすると、自分もダメな人悪い人になりたくないので、

嫌いを取り繕ったりするわけですよ。

特に対象が人の場合。

これって恐らくバレバレだとは思うんですけどね。


例えば最近あったことですが

初対面だし仕方がないかなとは思っていたのですけど、

相手が一生懸命こちらに合わせてくれようとしているんですが、

こちらにとっては的外れな上に

なんか本音じゃないのがわかってこちらも疲れるんですね。


好きでも嫌いでも興味無くても

正直な態度でいてくれる方が、実はこちらも疲れない。



でもこれって私が相手に望んでいることなんですよね〜



相手は自分の鏡だとすると、それはつまりは自分のことでもあるからして、

じゃあ、自分がそれを止めたら良いだろうと。


で、


我慢して人の話を聞くとか

無理して付き合うとか

止めてみました。







結果、



ふと、気付いたら、


周りに人が減ってましたwwwwwwww


これまで付き合いのあった人たちがいなくなったというか。

仕事場でも

今まで通りに接してくれる人は

前からいいな、好きだなと思っていた人たちで、

友好的だった態度がスゲー変わった人もいるしw

逆に、今までよそよそしかったけど、態度が軟化して話し易くなった人もいるしw



これってよく考えてみると、

離れていったように見える人達は、

元々自分が頑張って付き合って来たからつながりのあった人たちで、

私が頑張らなければその付き合いはそもそも無かったことなので、

いなくなった人は去っていったわけではないんですよね。たぶん。


もしかしなくても、私は結果的に相手にも無理をさせてきただろうし。

なんとなくぎこちなさも感じていたしね。



色んな世界が見れるから、色んな人とつながりを持っておいた方がいいな

と思って好き嫌い問わず人付き合いを広げていたのですけれど、

疲れてしまった = 私はそういうタイプではなかった

ので、急激に縮小していった感じですわね。


ちょっと振り返ってみると、

実は自ら世界を広げようとしなくても、

好きなこと、興味のあることに邁進していれば、

世界ってかってに広がっていってしまっていました。


私って元々鉄砲玉*1だったしwww

嫌いなことってそれ自体、その相手自体が「悪い」のではない、です。


私、鰻嫌いですけど、鰻は悪く無いですよね?

ならば、鰻が嫌いな私が悪いのかというと、

鰻好きの人の取り分が減らない分、むしろ嫌いでいてくれて良いですよね(笑)


食べ物なんかは特に、

嫌いだと思っていたけど、食べてみたら美味しかった!

っていうのがあるので、

嫌いでも一応トライしてみます。


人付き合いの場合、嫌いの根本は自分の嫌なところを相手に見ていることが多いので、

むしろ自分が悪いと思っている嫌なこと→悪いと思わなければどうだろう?

→あれ、思っていたより大したこと無かった(笑)

そういうことを見つけられたりするので、

嫌いと反応した自分を大事にするようになりました。


好きになるわけじゃないですけどね(笑)


自分が快適に過ごせる時間が増えたのは間違いありません。


嫌いなことに悩まされずにすみますから。


嫌い=ダメ に悩んでいた時の方が多かったかも。

今思うと無駄なことだったわ(笑)



*1:使いなどに出たまま戻らないこと。また,その人。 「 -の使い」使いなどに出たまま戻らないこと。また,その人。 「 -の使い」 大辞林より