解像度高めでロースペックのまま生きる
クリスマスには珍しくASTIのMARTINIを。
甘いけど、開けたてはなかなか良かった。
クリスマスはウィーンかイタリアのクリスマスな雰囲気を味わいたくて、
絶対イタリアもの(ウィーンものは見かけない)を、と思ってしまう。
多分、ドイツでクリスマス時期を過ごしていたら、
ドイツものに傾倒していると思う。
(つまり、ウィーンとイタリアしか知らない(笑))
フランスに住んでいた声楽の先生は、帰国してから、
毎年クリスマスには『ビュッシュ・ド・ノエル』を用意するらしい。
(つまりフランスもの)
ちなみに、日本では主に『ブッシュ・ド・ノエル』と言われるが、
・ビュッシュ/ bûche (仏)/ 丸太
・ブッシュ/ bush (英)/ 草むら
に聞こえてしまうので、「Jョージ・ブッシュはいらない!」
と嫌がっている(世代笑)
ついてこれた人えらいwww
上手いこと言ってる人がいるな
こういうの好きなんだよな。
これからは“学歴の高さ”ではなく、
— Rie Nagasaka (@R_Nagasaka) 2020年12月17日
「自分を取り巻く世界の解像度の高さ」を意識してゆきたい。 https://t.co/gbLFWGHmYb
〈参考〉↓
解像度がなんだかわからない人は“解像度が高い”写真と“解像度が低い”写真を比べてみると分かりやすいよ。
多分私は、デフォルト設定が解像度高めになっているんだよね。
だけど、メモリはそんなに多くない。
作業してるとメモリがすぐいっぱいになっちゃう。
メモリのこれが知りたかった!-メモりって何?-|ELECOM
つまり、解像度高めのことを
次から次へとは処理できないのに、
解像度が高くないと自分的に上手くいかない
納得できない。
だから地道に少しずつやるしかない。
なのに感覚が解像度高めで受け取ってしまうので、
理想と現実とのギャップに焦り、打ちのめされる。
長い間、こんなメモリが少なくてロースペックな自分をなかなか受け入れられなかった。
感覚は解像度高めなので、ハイスペックだと思い/思われがちなせいもあって。
解像度を高く、しかしロースペックであることを受け入れて生きる。
たぶん、これが私にとって一番無理の無い方法なんだと思う。
焦るし、しんどいこともあるけど、
今までやってこなかった方法なので、試しに続けているのだ。
はたして、年内に次の書き上がるかな(汗)