熟考せずに話して、恥をかけば良い
子どもの頃、おしゃべり!と怒られて、
話すことをやめた私。
多分、私は喋ること・話すことは得意な分野だと思う。
例えば、人前で話せ と言われても、取り敢えずできる。
(為になる話かとかいい話かなど、良質な内容の話なのかはともかく。)
知らない人と話せ、と言われても、取り敢えずできる。
話す・喋るということならば。
でも、子どもの頃のきっかけで、
自分で話すことを「悪」と捉え、封印して来たのかもしれない。
その積年の怨念みたいなものが、
今、キツイ言葉となって表れているのかもしれない。
今が、恥のかき時だ。