「自分」になる
そろそろレンタルなんもしない人@morimotoshoji にフォロワー数がぶち抜かれそうなので、これからは「レンタルなんもしない人は俺が育てた!」という無の主張を繰り返しながら、地元のともだちに「おれ、有名人と知り合いなんだぜマウント」を取りながら平和で安定した余生を送ろうとおもっている。 pic.twitter.com/19TFeFMZ0Z
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2018年9月16日
これを読んで、
“ああ!そういうことか!”
と、
唐突に理解した。
「プロ奢ラレヤー」にしても、
「レンタルなんもしない人」にしても、
それはたとえば、
「声楽家」とか、
「医者」とか、
「公務員」とか、
そういうのと同じで、
やってること、商売にしていることを、看板を掲げているだけ。
で、“それになる”。
“それになる” というのはつまり、
“その商品になる” ということ。
能年●奈が、「のん」という商品であるように。
(このたとえはいいのか?!)
で、 『私は?』 と考えた。
私は「設計士」にも「声楽家」にも「アーティスト」にもなれなかった。
名乗ることさえ違和感しかない。
“嫌だ!!なりたくない!!”
と、思っていた。
世間一般の固定の何かになるのが、極端に嫌だった。
で、 『私は…』
…そうか。
私は『なが』をやろう。
ずっと名乗っている、『なが』になろう。
なにやってるか一見ではわからないけれど、
とりあえず言えるのは、
ブログを書いている人。
そして、
悩んだり、
いい子ぶったり、
知ったかぶったり、
色々する人。
そうだ、そうしよう!