自分自身が答えた
すっかり家族の前では、キレ芸を見せている私( ̄▽ ̄)です。
それでも
「お前の怒り方は恐い(笑)」
とネタにされても、腹が立たなくなってきました。
「怒らせるようなこと言ってくるお前が悪い!」と腹が立っていたわけです。
自分の怒り方が凄まじいのは自覚済みなので余計に。
多分、ちょっとずつしていた我慢をしないようになったからなのかも?
どんなワガママ女王になったかと云いますと、
朝、起こされても、起きられない時は起きない(笑)
(まあ今、緊張が解ける薬を飲んでいるせいもありますが。)
話したくない時は話さない。
(会話を円滑にしなきゃ、と思っていた。)
聞きたくない時は聞かない。
(私に話しているんだから聞いてあげなきゃ、と思っていた。)
相手の予定に合わせて行動しない。
(相手の予定に合わせて、自分の行動を変更していた。)
出来ない時は出来ない、やりたくない時はやりたくないと伝える。
(疲れていても身体を引きずりながらなんとかやろうとしていた。)
親に断らず、勝手にキッチンを使い、勝手に料理する。
(親のテリトリーだから、勝手に使ってはいけない、と思っていた。)
自然にやろうと思った時にそれをする。
(気が利かなければならないと常に気を張っていた。)
(青字)の部分、「は?なにそれ?」って思う人いるかもなあ。
それだけ常に臨戦態勢だったのが恒常化していて、
そりゃあストレスも疲れも溜まりますよね。←マゾだよね(~~;)
これ((青字)部分)を何十年間も内外で続けてきたので、
もう何をするにも相手の出方を確かめないと自分の行動が決められないという…
(しかも、自分がこうなので、相手も当然そうあるべきと無自覚に思っていた(==;))
そして飽和状態になった時、一気にそれまでのことを一切止め、
(まさにPCがシャットダウンした状態)
全然違うことを始めたり、人付き合いを一新したり。
興味の対象が広いので、新しいことをするのに躊躇は余り無いんですけれどね。
自分のやることは常に間違っている。だから相手に合わせた方が良い。
(相手の言う通りにやっていれば、私は間違わないし悪くない。)
こんな意識が知らず知らず刷り込まれていって、
(念のため書いておきますが、自分で刷り込んでいったということですよ。)
自分で何かしたいと思うと、なぜか罪悪感が湧き起こるという…。
(誰かのためにしたいとか誰かが理由に上ると罪悪感は消える。)
まだやったことも無いのに、
いきなり、自分は間違ってるって、やってみてから判断しろってwww
まあ、やってみても、先生や誰かの良い評価が無ければ、
これで良いのかな?って不安になってしまうんですけれどね。
だからダメ出しされても平気なんです。
「良い」もしくは「正しい」は他人が知っているから。
他人の頼みや要求を中々断れなかったのは、
他人の頼みや要求は「良い」ので、断るのは「良くない」と思っていたから。
…昨年、引越すことになった時、
私のどこか自信が無い、なんとなく上手くいく気がしない理由って、
多分、家族との関係性の中にあるんじゃないかな、
と考えていました。
文章に書き起こしている自分自身が、
『へ〜〜〜!そういうことだったのか!』
という気分でいます。
自分がそういう考えをベースに持っていたとは、気付きませんでした。
そんなんしていたら思い出した、この日のこと。
こういう占術とか、心理学とか、哲学等々、
云っていることは方向性だったりやり方だったり見え方だったりして、
実際に答えを見つけるのは自分自身の中なんだな
というのを改めて実感しました。
命題を設定して、自分自身にストレートに問う のではなくて、
なんだかわからないけれど妙に引っ掛かる、
なんだかわからないけどいつも同じ結果になってしまう、
それらを自分の言動から探っていく、
それもきっと、
『自分自身に問う』
ってことなんだなあ。